あたまがいたい

 

絶望的に見返りを求めることは善でも悪でもないと許してしまえば、何が言えるかより何を言わないかを優先すれば、死んでいく感性も泣けない映画も納得がいく。視点を多く持つほど味わう苦痛が増えるのにどうして人は何でも欲しがるの。

 

相手に地獄を見せたい時にしか必要性を感じない知識。もし人間が言いたいことの全てを口に出せるなら音楽なんて生まれなかったのではと思う。知らなければよかったことだらけで、言語が世界の限界であると気付けば、くだらない物語に閉じ込められたのと同じ。

 

知れば知るほど減る知りたいが痛くて堪らない。まともに傷つくことすら面倒で、期待するのも期待されるのも疲れた。どうでもいいことばかりが気になり繰り返す無駄な推知。何にでも理由を欲しがる軽い暴力のような響きが頭を揺らす。

 

適当な理由を並べる毎日。大抵のことは代替可能でどの面接官も真面目な顔でありきたりなシナリオを待っている。長所もひっくり返せば短所でバカバカしいし、オセロで遊んでたい。根拠のない自信も現実への無頓着さも気持ちが悪い。

 

忘れられないことを許されたい人で溢れる、分かりやすいものが愛される、信じたくなる嘘をばらまいたつまらない世界で抱えた思いを飾り物にするには大きすぎた。本当はそれ以上の意味を置いておきたかったし、それ以上の本当を含ませていたかった。表すことが許されないのならせめて、分かりにくいまま、分かられないまま、分かり合えないままでよかったのに。

 

変化を見るのが怖い。自分の知らない形になった途端に不安になる。未来に繋がった糸があるなら切ってしまいたいほどに。知り尽くした場面を奪わないで、知らない場所へ行かないでと全てを抱き締めていたいんだ。

 

人間の数が多すぎる。人をパターン化して思うがままにかき集める作業が苦しい。誰かの都合のいい造形が正解なんて悲しい。君の正解は私の間違いだ。誰かの下位互換でしかないのだからわざわざ自分が頑張る必要なんてないとさえ思う。願うほど未来はないのにこんなはずじゃなかったを繰り返してまた春が来た、今日も今日とて頭が痛い。