Claque

 

 

社会の為に会社の為に生きているなんて嘘で遊ぶために生きていると信じてる。本当はすれ違いも許したい。嫉妬も我慢も苦しいのに簡単に責任転嫁できる年齢じゃなくなってしまった。私の当たり前は他人の非常識らしい。

 

あの時の誤解も悪意に変わった羨望も全てを若さで纏めて捨ててしまえと一時的な感情で動きそうになる。

宣戦布告は誰かの承認が欲しかっただけでお金は愛になるよって言ってみたかっただけで。

 

夢を諦めたとき、賢明な判断だと褒められたくないし意気地無しと貶しても欲しくないし肯定されてもキレそうになるし否定されても殴りたくなる。

何かを捨てるということ、その決断が正解かどうかなんて分からない。分かる訳が無いよ。まして他人に。かつて鮮やかに輝いて見えた夢はもう何処にも無い。

 

人生の中身は人生の質は稼ぐお金の量によるのか勉強して得た知識量によるか。何も知らない外野は自分が救われた方法ばかり勧める。人はそんなことでしか他人を救えない。美談で固められる人生はさぞかし幸せなのだろう。

 

 

可愛い顔も立派な学歴も高額な収入もくだらない、そんな風に吐き捨ててみたかった。貫けるほどの好きも無い。すべてのものから置いてけぼりで自分という人間がこの世界から必要とされていないと耐えられない孤独を垂れ流す。

 

みんな誰かを何かを愛して生きているらしいけどよく分からない。裁かれるのも人、裁くのも人、そんな世界で人生経験は栄養だなんて。気付かないふりして目を逸らしても辛さは消えない。

 

 

私もきみもまた足掻ける日が訪れますように。